全国的にも独特な画風をもって知られる能代凧の由来は、実に古く、かつて坂上田村麻呂の軍勢が渟代地方(現在の能代)の蝦夷征伐の時、空高く揚がった凧を目印に入港したとの伝説もある。

 下って350年前、徳川四代将軍家綱の明暦のころには、子どもはもとより大人も町中こぞってこれを楽しみ、趣向を凝らしてその技を競い合いました。丁度そのころ「能代ねぶながし」も年々隆盛になってきたことと相まって、夏は「ねぶながし」、冬は「凧揚げ」が最も楽しい行事となりました。

 能代凧としての風格が一応固定的になったのは、明治初期以降で形の上では、帆凧と的凧に分かれ、図柄は「武者絵」と「べらぼう」が代表的なものになりました。

 当時の記憶によると、冬季能代の上空は揚げられた無数の凧で「天日ために暗し」と書かれているほどで、昼はもとより、夜通し凧揚げを楽しむ人も多かった。しかしこれに代わる遊具の出現で、だんだん凧の数が少なくなってきましたが、近年文化財としての価値と、健康的な遊具とし、また装飾品として真価を認められ、愛好する人々が増えてまいりました。

 能代凧の中でも特徴的で有名なのが、あっかんべーと舌を出した男女の「べらぼう凧」です。 「べらぼう」とは、べらぼうめ、べらんめぇ、という言葉が語源と言われていますが、説は様々です。

 また舌を出した絵柄は魔除けの意味があると言われています。「男べらぼう」は頭に芭蕉の葉っぱが描かれ、「女べらぼう」の頭には牡丹の花が描かれています。
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